http://mainichi.jp/feature/news/20130123ddm013100011000c.html
いいママになりたかった:大阪2児放置死事件/上
両親の「ネグレクト」 幼少期の体験、心の傷に
毎日新聞 2013年01月23日 東京朝刊
「
もう子供が犠牲になるようなことは起きてほしくない」。
今月8日、大阪拘置所から届いた手紙にはこう書かれていた。
差出人は中村(旧姓・下村)早苗被告(25)。
10年7月、大阪市西区のマンションに、当時3歳の長女と1歳の長男を放置して餓死させたとして逮捕、翌年起訴され、昨年12月に大阪高裁で懲役30年の判決を受けた(上告中)。「いいママになりたかった」という彼女が、なぜ死に至るまで我が子を放置したのか。
複雑な生い立ちと離婚後の境遇をたどり、事件の教訓を考えたい。【反橋希美】
(懲役)30年については、起こした事から考えれば受け入れなければいけないと思います。納得がいかないのは、“積極的でなくても殺意が認められる”ということです。上告したところで、結果が変わることは殆(ほとん)どないと思っています。それでも私は訴えていきたいです。
記者は1審の初公判の前から、中村被告に約10通の手紙を送っていた。中村被告が上告したと知り、心境を尋ねる手紙を出したところ、初めて返信が届いたのだ。
置き去りにした時点で、子供が死ぬ危険性を認識していたのか。これが裁判の争点だった。法廷で中村被告は「今でも愛している」と何度も子への愛情を口にしたが、1審の大阪地裁、2審の大阪高裁とも殺意を認め、殺人罪を適用した。
手紙で中村被告は、改めて殺意を否定したが、ゴミが散乱する部屋に50日も子供を放置した行為とのギャップは埋めがたい。焦点が当たったのは、
親の愛情を求めながら得られなかった、被告自身の生い立ちだった。
■
三重県四日市市で育った中村被告は、5歳の頃に両親が別居し、2人の妹とともに母親に引き取られた。ある夜、中村被告は父親(52)に「お母さんがいない」と電話した。駆けつけた父親が目にしたのは、飼い犬の排せつ物の臭いが充満する部屋で、汚れた服を着た娘たちの姿だった。母親は、頻繁に子供を置いて外出していたようだった。
見かねた父親は、中村被告が小学1年の時に正式に離婚、娘たちを引き取った。父親は中村被告が小学3年の時に別の女性と再婚したが、3年ほど後に再び離婚した。
優等生だった中村被告が荒れ始めたのは、中学に入学した後だ。家出や外泊を繰り返し、援助交際もした。「1年半くらいの間、家出しない週はなく、途方に暮れた」。父親は当時をこう振り返る。
同じころ、行動に一貫性がなく、うそをよくつく
特異な言動が目に付くようになった。家出の理由を聞いても要領を得ない。繁華街を歩き回って捜し出すと「お父さん来たから帰る」と、ケロッとした様子で帰宅する。家出を泣いて謝り、父娘で「寝ようか」と笑い合った翌朝には、もういなくなっていた。
父親は高校の強豪運動部の監督として、全国的に知られた存在だった。「部活動の遠征で家を空け、エネルギーの95%を仕事に費やしていた。次第に『
家出するのは、心配してほしいからかもしれない』と思うようになった」
シングルファーザーとして仕事と育児に奮闘する父親の姿が、02年に民放番組で取り上げられた。番組の中で、幼い顔に化粧をした中学3年生の中村被告が、カメラの前で孤独な思いを吐露していた。
「
家族みんなで、っていうのがなかった」
実は中学時代、中村被告は集団で性暴力を受けた。だが、そのことを、父親に打ち明けていなかった。
東京の高等専修学校卒業後に地元に戻った被告は、就職先の飲食店で知り合った男性(26)との間に長女を授かり、結婚。だが、長男の出産から半年後、自らのうそや家出が原因で離婚した。その後、
水商売を転々としながら1人で育児をしていたが、次第に子供を家に置いたまま遊びに出るようになった。周囲には「子供は他の人に預けている」と、うそをつき続けた。
そして、事件は起きた。
■
「困難を目前にすると、
無意識に『解離』的な認知操作をする特性がある」。弁護側の依頼で中村被告の心理鑑定を行った西澤哲・山梨県立大教授(臨床心理学)の分析だ。
解離は、
記憶が飛んだり人格が変わったようになったりするなど、
意識や体験がバラバラになる現象。
虐待などのトラウマのある子によくみられる。
心理的苦痛を直視しないよう、防衛手段として身につけてしまうという。
専修学校時代の被告の恩師によると、
少年鑑別所の職員が当時、被告について「解離性障害の疑いがある」と語っていたことがある。だが、
専門的な治療を受けるなどの措置はとられなかった。
「幼少期の母親からの
養育放棄(ネグレクト)と、父親が気持ちに寄り添ってくれないという
情緒的なネグレクトが続いた結果、
心に深い傷を残したのではないか」と西澤教授は語る。「彼女が本当の意味で罪に向き合うには、
親に謝罪してもらうことを含め、
トラウマ体験と向き合う治療的なかかわりが必要だ」
中村被告は2審判決前に大阪市内の夫婦と養子縁組し、姓が変わった。実の父母との関係も、少しずつ変化している。事件直後は「怒りが強くて面会に行けなかった」父親は、地裁判決の後に
虐待の専門書を読み「
できることがあったのでは」と後悔の念が増している。中部地方に住む母親も、毎週のように面会に訪れている。
「早苗はどんな時もお父さんの娘」「私はずっとあなたのお母さん」。事件後に父母からそれぞれ言われ、中村被告は「涙が出た」と手紙に書いていた。弁護士にはこう話しているという。
「
いつか、お父さんとお母さんが一緒に面会に来てほしい」
スポンサーサイト
コメントの投稿